|
薔薇と憂鬱−本を読むとは− 文責:大太法師
ここのところ連日連夜、原田宗典氏のエッセイを読み返している。先日旅行をした際の連れ合いが、読書とは水と油という罰当たりの人間だったため、「これは腹のよじれるよな原田さんの本でも読ませ、活字中毒に仕立て上げねば!!」と鼻息を荒立てて旅の友に原田ブックを連れて行ったのだが、連れは眉一つ動かさず10ページほど読んだかと思うと、「字が小さい。」といって読むのを止めてしまった。せっかく連れてきた友を無碍にするわけにいかないので、私が新幹線内で腹をよじらせ、変人のレッテルを貼られてしまった。そんな訳で、帰宅してからひっそりと自室で「ぐふふ…」と怪しい笑いを発しているのである。 原田氏の話は前フリとして、本題・読書について話してみたい。私は文学部所属ということもあり、本好きである。ジャンルも古典、純文学からサブカル、エロまで浅く広く、といったところか。友人もこぞって読書家だったし、実家の自室も本で溢れかえっている。3000円のシャツは買うのを渋るが、3500円のハードカバーは二つ返事で購入、という環境に18年いた。故に大学に入り交流が広まり「読書なんて疲れるし眠くなるしいいことないじゃーん」と声高に反論する輩に会い、私は心底驚いた。BGMのバッハのトッカータとフーガニ短調が流れ出す位のショックだったのだ。「そっかー、そうゆう考えかたもあるのねん。」と納得する反面、「おめ、なんじょしてそっだら屁理屈こぐんだ!?」と首絞めてとっちめてやりたい衝動にも駆られた。が、そんな訳にもいかないので、私個人の考える読書のムフフな所をつぶやいてみたい。 まず、世間一般論と同様、教養としての楽しみがある。「御趣味は?」「読書です。」…カックイー!そのジャンルが純文学や要所だと、前髪を斜め下45度からかきあげても様になるくらいかっちょいいのだが、それは置いておこう。ただの偏見だしね。どんな本からだって学び取ることはあるはずだ。エロ本から得た知識だけで下のテクが凄いやつに遭遇したことがあるので間違いないだろう(ってこんなこと公言してもいいのか!?)。無知よりは博識の方がいいと思う。ただの自己満足レベルであったとしても、けっして無駄ではない。それに繋がることだが、知的好奇心がそそられるのも読書の醍醐味だ。1冊の本を読むだけで世界が広がる。先日の旅行で清水寺に行ったが、「ここに安寿と別れた厨子王が来たのねー!」とか、ビルとビルの間に申し訳程度に建っていた在原業平邸跡碑をみて、「私も業平様にさらわれたいわー!」と発狂して白玉か何ぞと人の問いし時〜と詠い「私幸せ。うふっ。」となれたのだ。菅原孝標女に勝るとも劣らぬ妄想ぶりだが、こんな気持ちになれるゆとりがあるだけでも、読書はオアシスの1つになりえるのではないか。 本嫌いの方は、これを機に1冊読んでみては如何だろうか。新世界開拓は人生の1つのテーマでもあると私は考えている。それにね、電車の中とかで鞄からシャキーンと文庫本を取り出すとかっこいいんです。週刊誌にはない趣が。たとえそれがフ○ンス書院とかでもな!?…かっこよさのバロメータが微妙にずれているのは御愛嬌、と堪忍していただきたい。
|