契約
空を、飛んでみたいと思った。
朝、何気なく目覚め、いつものとおり学校の支度をする。
御剣 薫十七歳。容姿の説明をするならば、それなりに端麗。力は剣道で鍛えられているのでそれなりにある。が、男臭くはない。髪はふわふわの猫毛、精悍な顔に薄い眼鏡をかけていた。
薫は、いつもは早朝に道場で剣道の修練に励むが、今日は珍しく修練の日ではなかった。それでも修練の日と同様に起床したため、朝の支度も手早く済んでしまった。久々に訪れた暇な時間をだらだらと過ごすのは実に勿体ない。薫は日課の木刀の素振りをした後、散歩に出てみようと思った。
外に出てみると、明るい空が印象的だった。まだ夏は終わっていない。しかし、まだ昇り切っていない太陽はいつもの刺すような熱射を放つわけでもなく。やや冷たい風が顔をなぜるのを心地良いと思うだけだ。散歩に出ても行く宛は特にない。薫はとりあえず、気紛れに自宅から徒歩で十分ほどの距離にある公園を目指すことにした。
公園は駅からも近く、日頃は人々が多く通っている。公園に向かう道は駅へも向かう道なのだが、今は早朝とよばれる時間なので、歩いている人間は本当に少ない。ジョギング、犬の散歩、朝の部活など。皆それぞれに向かう場所、歩いている理由がある。
けれど自分には特別な理由などなくて。いくらでも進路の変更はきく。そう考えると、今ここにいる自分は、他と隔離された、曖昧な存在のように思えてきた。
薫は、随分と思考が飛んだなと思ったが、普段はなかなか無い現象なので、そのまま、いつもとは違う考察というものを実行してみようと思った。
辿り着いた公園のベンチに腰掛け、風に運ばれながら移り行く雲を見る。
「逆巻く風……。」
雲が、風に運ばれているさまは、大きな波に晒される海草のよう。選び取るわけでも流されるわけでもなく、ただそこにいる存在。周囲の変化を見送りながら自らを止まらせる、あるいは、共に流れる。そこに自らの意思は必要ない。この世の大いなる意思も関与しない。
揺らめくままに。
自分も、そんな存在になりたいと思う。全てを諦めるわけではなく、世の理を認め、自らが楽しんで流れに乗れる雲。そう、言うなれば絶対的な余裕。高みを目指すにあたっての確固たる自信。
欲しい。近付く為に自らの力によって空を飛びたいと願う。不可能だと分かっているが、願う。
選び取る痛みと自由への祈りを抱いて。空へ……。
「…。さて……。」
いつの間にか、目の前に公園以外の色が付いている。薫は、おもむろに立ち上がった。決心をした。いつもの生活に戻るときが来たのだ。
「空に近付く為には、大会の優勝くらい軽くこなさないとね……。」
空を目指す。
高みを目指す。
それは自己と交わした約束、契約。目標の設定。それは、言い換えれば立ちはだかる壁の構築である。自らに課せられたあるいは自らが課した試練を、自らのチカラで進め。それが、自信と、余裕と、愉しみを創りだす。
試練の代償はチカラ。理想という名のあこがれを武器にして、さぁ――、走れ。